物事を自己中心的に考えているヒト、
それが自分自身で意識しているものであれば、直すのは簡単である。
問題なのは、自分自身で気づかず、自己を振りまき、強制し、周囲を不愉快にさせているヒト。
このようなことを痛感するできごとがあった。
得てして、ヒトの振り見て我が降り直せとはよく言われるが、
今回の中心は自分、
つまり俺である。
要するに、俺は、気づかず自身の意見を「至極全うなことであろうと高をくくり」、周りのヒト(ここでは特定のヒトに対してだが)に傲慢極まりない態度をとり続けた。
結果として、危なかった。
何が危なかったのか?
それをここで書くには、話がいくらか入り組んでいるし、そもそも俺にそれを説明しきる程の文才がない。
それでは何故ここに書くのか?
それは俺自身の覚悟の話になってきてしまうが、つまりそういうことである。
覚悟なのである。
これまでに、俺は「特別なことを当たり前と考え」、その後、「当たり前とも考えず、思考することすら避けていた」。
これに気づかされると、このことが突如、形を先端の鋭く尖った針へと変え、
俺の心の中のある空間に眠らせていた風船をパチンと割った。
それと同時に、中からあらゆる「考え・不安・後悔」が滝のように溢れ出てきた。
それが、今回俺が感じた景色である。
この景色、忘れることがないだろう、この先一生。
今、ここに記していることは極に抽象的であり、この文を誰が読んだとしても全く言いたいことがわからない、独りよがりの駄文に見えてしまうだろう。
ただ一人、俺を除いては。
つまり、心に刻むためのブログなのである。
初めてブログの使い方がわかったような気がする。
それが自分自身で意識しているものであれば、直すのは簡単である。
問題なのは、自分自身で気づかず、自己を振りまき、強制し、周囲を不愉快にさせているヒト。
このようなことを痛感するできごとがあった。
得てして、ヒトの振り見て我が降り直せとはよく言われるが、
今回の中心は自分、
つまり俺である。
要するに、俺は、気づかず自身の意見を「至極全うなことであろうと高をくくり」、周りのヒト(ここでは特定のヒトに対してだが)に傲慢極まりない態度をとり続けた。
結果として、危なかった。
何が危なかったのか?
それをここで書くには、話がいくらか入り組んでいるし、そもそも俺にそれを説明しきる程の文才がない。
それでは何故ここに書くのか?
それは俺自身の覚悟の話になってきてしまうが、つまりそういうことである。
覚悟なのである。
これまでに、俺は「特別なことを当たり前と考え」、その後、「当たり前とも考えず、思考することすら避けていた」。
これに気づかされると、このことが突如、形を先端の鋭く尖った針へと変え、
俺の心の中のある空間に眠らせていた風船をパチンと割った。
それと同時に、中からあらゆる「考え・不安・後悔」が滝のように溢れ出てきた。
それが、今回俺が感じた景色である。
この景色、忘れることがないだろう、この先一生。
今、ここに記していることは極に抽象的であり、この文を誰が読んだとしても全く言いたいことがわからない、独りよがりの駄文に見えてしまうだろう。
ただ一人、俺を除いては。
つまり、心に刻むためのブログなのである。
初めてブログの使い方がわかったような気がする。
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by LOVEandPEACE-ty
| 2009-07-20 23:19
| 事